モテカブ

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今月の特集

皆の衆が安心して株式や債券の売買ができる場、それが証券取引所! 現在、日本国内には札幌、東京、名古屋、大阪、福岡にあることは、多くの人が知っておるはずぢゃ。では、それらがいつできたのかは、知っておったかのぉ? そこで、意外に知らない(?)、証券取引所の軌跡をたどってみたのぢゃ。日本の証券取引所の歴史を、ワシがいま、ひもとく。大スペクタクルドラマの始まりぢゃ!

 
協力:東京証券取引所

今回のカブさま、「ギザ燃ユルス」ですねえ

 

「大袈裟」とも言う〜!

 

そもそも証券取引所はいつから始まったか。まずは、世界に目を向けてみようかのぉ
  当時、ワシもけっこう忙しかったもんぢゃから、くわしい年号まで覚えてないんぢゃが、あれは日本でいうと、壇ノ浦の合戦か、源頼朝くんが征夷大将軍に就任した頃ぢゃったかのぉ。
  この頃(12世紀)、フランスには、すでに銀行が農村の債務を取りしきる、証券取引所の走りともいえるシステムがあったんぢゃ。また、13世紀半ばにはイタリアでも、ベネチアの銀行員が政府の証券の取引を行い、イタリアの他の地域にも、その取引が広がっておったのぉ。13世紀というと、日本は鎌倉幕府のド真ん中ぢゃ!世界との違いを如実に感じるのぉ。
  そして17世紀、「株主が企業に出資し、その利益と損失を共有する」という、いまの株式会社のシステムに近いものを導入し、世界初の証券取引所をつくったのが、オランダ「アムステルダム証券取引所」ぢゃ。世界初の株式会社といえば、ご存じ! オランダ東インド会社ぢゃが、この取引所で世界で最初に有価証券を発行したのも、この会社だったんぢゃ。そのちょうど1年後、日本では江戸幕府が始まり、徳川家康くんが将軍になっておるのぉ。
  それから、2世紀もの時を重ねた1878年(明治11年)5月、日本にもやっと取引所が創設されたのぢゃ。それが「東京株式取引所」。ついに日本の取引所の幕が開いたのぢゃった。

 

1878年5月(明治11年) 「東京株式取引所(東株)」創設

東京の実業界の有力者だった、渋沢栄一氏、三井養之助氏、三野村利助氏、福地源一郎氏らが、株式取引所の設立を強く願ってのぉ。大蔵卿の大隈重信氏の免許を受けて、5月10日に設立されたんぢゃ。実際に、東株で売買取引が開始されたのは、6月1日ぢゃったなぁ。その前日には維新三傑の大久保利通氏が暗殺されたりと、ビックリニュースもあったが、それだけまだ混乱のなかにあっての設立だったんぢゃ。開始当日には、内務卿の伊藤博文氏や大隈重信氏など、その後の近代日本の建設に尽力した、そうそうたるメンバーが列席して、ワシも彼らと手と手を取り合って、日本の証券市場の幕開けを喜んだもんぢゃったゾ。それに並行して、大阪では同年6月に、大阪株式取引所(大株)を設立。1886年(明治19年)3月には、名古屋株式取引所(名株)も設立されたんぢゃ。
日本で最初に上場した東株の株券。
その次に上場した大日本東京第一國立銀行(みずほ銀行の前身)の株券ぢゃ。この年の取引状況は株式253株、公債は2656万円と「株式取引所」というより、まだ「公債取引所」といった感じだったのぉ。
当時の取引の様子を画伯、清水柳太氏が描いた絵巻物ぢゃ。現在のコンピュータ化された取引からは想像もつかないぢゃろうが、この頃は、まだ和服姿での取引が日常だったんぢゃゾ。

1887年〜97年(明治20年〜30年) 鉄道ブーム到来!

企業勃興期でのぉ。第1次鉄道ブームが訪れ、1892年(明治25年)に鉄道敷設法が公布されると、第2次鉄道ブームが起こり、鉄道会社も上場し始めたんぢゃ。日本鉄道(現・JR)の株は大人気ぢゃったなぁ。それにより、株式取引も活発化して、1893年には265万株を記録するまでになったんぢゃ。

1926年〜43年(昭和初期) 戦時債券を大量発行

第2次世界大戦時には軍事費の捻出のために、赤字国債を大量に発行したんぢゃ。そして、戦時体制がどんどん強まり、1943年(昭和18年)6月には、66年の歴史をもって東株の幕はいったん下ろされたんぢゃ。
1942年(昭和17年)に発行された戦時国債ぢゃ。郵便局や金融機関、たばこ屋、デパートなどで一般売りされてのぉ。この年は20億円、翌年には50億円発行されたんぢゃ。ちなみに、当時の戦時債券を集めるコレクターも日本にはおってのぉ。いまでも、ネットオークションなどで手に入れられるんぢゃゾ!

1949年4月1日(昭和24年) 「東京証券取引所(東証)」設立

終戦を迎えた1945年(昭和20年)、東株の建物はアメリカ占領軍に接収され、「エクスチェンジ・ホテル」と呼ばれて米国海軍通信部隊の宿舎となり、旧市場館はダンスホールに利用されておったんぢゃ。世の中も経済も混沌としたなかで、1948年(昭和23年)、改正証券取引法が施行され、これを受けて取引所の設立準備委員会も組織されてのぉ。皆、早く日本の経済を立て直そうと取引所再開運動を起こし、翌年4月1日、東京、大阪、名古屋の3都市に「証券取引所」を設立。7月には新潟、京都、神戸、広島、福岡の5都市、翌年4月には札幌に取引所が設立されたんぢゃ。戦後初の取引所設立の裏には、GHQとの激しい攻防戦など、それはそれは「プロジェクトX」のような、挑戦者たちの涙ぐましい努力があったんぢゃゾ!
古代ギリシャの建築様式を採用した、東京株式取引所旧本館。GHQに接収された頃は、この玄関にはいつも衛兵が立っておったんぢゃゾ。東京証券取引所として再スタートした後も建物は利用され、1981年(昭和56年)まで兜町の顔として愛されたんぢゃ。

同年5月16日 取引初日は大混乱!?

取引開始に向けて、東証ではペンキの塗り直しや銘柄名札の整備。そして、新たに使用することになっていた「テレタイプ(文字を打ちこむと、信号が遠隔地に伝えられ、メッセージが印字されて送られる機器)」の練習など、ガランとした場内でスタッフたちは喜々とした表情で準備を進めておったんぢゃ。ところがぢゃ!初立会当日、売買方法が従来とまったく違っていたことから、ずいぶん混乱してのぉ。伝票整理に追われて商いを成立させる余裕もない者もおって、翌日から口頭で注文を受ける方法に切り替えたりと、てんやわんやの初日だったんぢゃ。初日は上場企業485社、681銘柄(11業種)の出来高が、清算可能証券(売買高が多く東証清算部を通じて決済する証券のこと)が21万3300株、清算除外証券(東証清算部を経由せず、会員間で直接決算する証券)が129万860株だったと、『東京証券日報』には書かれておるゾ。
初立会、当日の様子ぢゃ。スゴイ熱気ぢゃろう?この日の東証の会場は、カブラの言う「ギザ燃ユルス」な状態で、なかなか商いが成立しない会員から罵声が飛んだりもしておったのぉ。

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