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今月の特集

公的機関としての信頼性と、上場企業としての合理性

  証券取引所とは一般的な理解では、「公正で透明性の高い公的役割を持つ機関」というものではないだろうか。今回紹介する大阪証券取引所(以下、大証)も、そういった“公的役割”を持っていることは事実。だが、そのような“静”の姿勢ばかりではなく、より合理的で効率的な経営を目指して株式会社化、上場を果たすといった“動”の側面も見逃せない。公的機関の持つ信頼性と、企業としての先進性。この2つの側面を両立させた経営こそが“大証らしさ”であり、今後の大きなテーマでもあるといえそうだ。
  では、この“大証らしさ”とは、はたしてなんなのか。大証の執行役員を務める北川氏に聞いてみた。
「大証では、今年(2007年)の3月に新中期経営計画として『グローバルに存在感のある“金融商品取引所”を目指して』というフレーズを策定しました。その実現のために4つの重点テーマを掲げましたが、なかでも“大証らしさ”につながるような特色のあるものとしては『デリバティブ』と『システム』、そして新興市場である『ヘラクレス』が挙げられるでしょう。
  システムについては後ほどくわしくお話ししますが、IT化が進んでいくなかで、証券取引所の業務は大きく様変わりしてきています。世界中の取引が国境を越えて自由に行うことができる。こうした状況において大証では、国内だけに目を向けるのではなく、世界の金融資本市場を視野に入れた活動を行っていきたいと考えています。『グローバルに存在感のある“金融商品取引所”』というフレーズに込めた意味は、ここにあるわけです。
  また、証券取引法が『金融商品取引法』として改正されたことも、私たちにとっては追い風となっています。今年の9月30日から施行されたこの法律では、証券取引所が金融商品取引所として定義付けられ、これまで有価証券や有価証券の先物・オプションに限られていた上場商品について、金利や通貨を対象にした商品も上場することが可能になったのです。
  もともと大証は、現物株に限らず、デリバティブ市場のセントラルマーケットとして知られています。ちょうど今年は、戦後国内ではじめてとなる株式デリバティブ取引『株先50』を開始してから20年になります。また2008年は『日経225先物』、さらに2009年は『日経225オプション』の取引も開始から20年を迎えることになります。ほかの証券取引所に先駆けて取り組んできただけに、現在大証の国内シェアは、株価指数先物で7割を超え、株価指数オプションはほぼ100%となっています。20年かけて培ってきたものを今後どのように発展させていくことができるのか。デリバティブ取引をいかに日本のマーケットに根付かせていくことができるのか。デリバティブ取引のセントラルマーケットとして、大証には大きな使命があると感じています」
  デリバティブ取引というと、個人投資家にとっては敷居が高い印象もあるかもしれないが、ここ数年、頻繁にマネー誌でも特集が組まれるなど、注目を集めている商品であることは事実だ。実際大証でも、デリバティブ取引における個人投資家の比率は年々高まってきているという。昨年7月に取引開始となった「日経225mini」は、小口で取引できる利便性が好評で、取引のおよそ4割近くは個人投資家であるという。今後、こうした個人投資家へのアプローチを強化していくうえで、考えていることはどのようなものなのだろう。
「大証としては、デリバティブ取引における投資家教育にはかなりの力を入れているつもりです。昨今、マネー誌でもよく取り上げられるので、少しずつですが知られるようにはなってきていますが、とくにリスク教育や理解という点は、よりしっかりと行っていきたいと考えています。リスクに対する教育は、しすぎるということは絶対にないのですから。大証としてもさまざまなセミナーを行っていますが、注目度が高まってきているのでしょうか、毎回、どの地域で行っても盛況です。また、以前は年配の方々が多かったのですが、最近では性別、年齢を問わず幅広い方々の注目を集めています。ただ、先程もお話ししましたように、デリバティブにはリスクもある。でも、いい商品であることは間違いありません。ですから、リスクについても、しっかりと理解してもらいたいと考えているのです。個人的には個人投資家がデリバティブの魅力を理解し、必要としてくれる時代は、もうそこまで来ていると実感しています。商品そのものはハイリスク・ハイリターンですから、リスクというものを正しく理解して、うまく活用していただきたいと考えています。大証としても、そのための教育活動、プロモーション活動は、これからも積極的に行っていく予定です」
そもそも我が国における取引所は、江戸時代の承応・寛文年間(1652 〜 1673 年)に、当時の経済の中心であった大坂に設けられた米穀取引所にさかのぼるといわれておるのぢゃ。全国各地の諸藩は、この地に蔵屋敷を設け、年貢米を回送・貯蔵して商人に売却しておったのぢゃが、そのなかでもっとも有力な商人であったのが「淀屋」ぢゃ。淀屋は、現在の大阪・淀屋橋の南詰めに居を構え、盛んに売買を行ったことから、次第にほかの商人たちも集まり、自ずからひとつの市場を形成したという歴史があるんぢゃ。後年、これが「淀屋米市」と称され、我が国における取引所の始まりとされておる。その後、この市場は、1697(元禄10)年に対岸の堂島に移され、後に「堂島米会所」と呼ばれるようになるわけぢゃ。堂島米会所は、最初は蔵米切手や米の現物など、いわゆる「正米市場」だったのぢゃが、1716(享保元)年頃から、帳簿上の差金の授受によって取引の決済を行う「帳合米取引」を開始し、1730(享保15)年には、幕府から公許され、これが今日の先物取引の始まりであるとされておるんぢゃ。 大阪証券取引所ビルの玄関は、ドーム状になっておるのぢゃ。この部分は、打ち出の小槌を見立てているということは、けっこう知られておるようぢゃの。これは「投資家の資産形成に資する」という、縁起を担いでおるんぢゃ。 そして、その打ち出の小槌を図案化したものが、1949(昭和24)年の市場再開以降職員記章として用いられておるロゴマークぢゃ。このロゴマークの図案は、職員記章のデザインを引き継ぐことで、打ち出の小槌型の縁起を踏襲しつつ、「中世堺以来の自由市場経済の伝統を受け継ぐ市場であること」という、大阪証券取引所の目指すべき企業像を表象しておるんぢゃ。

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