| そもそも我が国における取引所は、江戸時代の承応・寛文年間(1652 〜 1673 年)に、当時の経済の中心であった大坂に設けられた米穀取引所にさかのぼるといわれておるのぢゃ。全国各地の諸藩は、この地に蔵屋敷を設け、年貢米を回送・貯蔵して商人に売却しておったのぢゃが、そのなかでもっとも有力な商人であったのが「淀屋」ぢゃ。淀屋は、現在の大阪・淀屋橋の南詰めに居を構え、盛んに売買を行ったことから、次第にほかの商人たちも集まり、自ずからひとつの市場を形成したという歴史があるんぢゃ。後年、これが「淀屋米市」と称され、我が国における取引所の始まりとされておる。その後、この市場は、1697(元禄10)年に対岸の堂島に移され、後に「堂島米会所」と呼ばれるようになるわけぢゃ。堂島米会所は、最初は蔵米切手や米の現物など、いわゆる「正米市場」だったのぢゃが、1716(享保元)年頃から、帳簿上の差金の授受によって取引の決済を行う「帳合米取引」を開始し、1730(享保15)年には、幕府から公許され、これが今日の先物取引の始まりであるとされておるんぢゃ。 |
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大阪証券取引所ビルの玄関は、ドーム状になっておるのぢゃ。この部分は、打ち出の小槌を見立てているということは、けっこう知られておるようぢゃの。これは「投資家の資産形成に資する」という、縁起を担いでおるんぢゃ。 そして、その打ち出の小槌を図案化したものが、1949(昭和24)年の市場再開以降職員記章として用いられておるロゴマークぢゃ。このロゴマークの図案は、職員記章のデザインを引き継ぐことで、打ち出の小槌型の縁起を踏襲しつつ、「中世堺以来の自由市場経済の伝統を受け継ぐ市場であること」という、大阪証券取引所の目指すべき企業像を表象しておるんぢゃ。 |